大原孫三郎が伝える経営術/大原孫三郎

大原孫三郎が伝える経営術

大原孫三郎

はじめに

こんにちは。影谷です。

本日は伝説の実業家、大原孫三郎のビジネス思考力をお伝えしたいと思います。

はじめに申し上げますと、大原孫三郎という方は日本の伝説実業家です。

現在のクラレ、中国銀行、中国電力を創立し、大原財閥を築き上げた地方創生のパイオニア的経営者です。

本日は大原孫三郎という人物が行った経営術から成功するためのビジネス思考力を紐解いてみましょう。

記事の信頼性

 

この記事を書いている私は、過去に赤字経営だった事務所経営を黒字化し、年商2億円を売り上げていました。

現在も事業イベントプロデュースのビジネスに携わる傍ら、日本中の知識人から学んだ経営術を伝える当ブログを運営しています。

特に対面営業と経理実務に関することを追求することが好きです。

大原孫三郎

(おおはら まごさぶろう、1880年7月28日 – 1943年1月18日)大原 孫三郎は、日本の実業家。 クラボウ)、倉敷絹織(現在のクラレ)、倉敷毛織、中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務めた。社会、文化事業にも熱心に取り組み、倉紡中央病院(現・倉敷中央病院)、大原美術館、大原奨農会農業研究所(現・岡山大学資源生物科学研究所)、倉敷労働科学研究所(現・大原記念労働科学研究所)、大原社会問題研究所(現法政大学大原社会問題研究所)、私立倉敷商業補習学校(現岡山県立倉敷商業高等学校)を設立した。

戦前に活躍された方ですので当然ですが、私はこの大偉人と直接の面識はありません・・・。過去の記事にも書きました司馬遼太郎先生と同じく、生きた時代が違います。

しかし、そのご縁は遠からず感じる存在です。

私が大原孫三郎さんを知るきっかけとなったのは岡山県倉敷市にある「大原美術館」に何度かお邪魔したからでした。

当時、私は倉敷市で大きなプロジェクトを抱えていて、週に一度ぐらいのペースで通っていました。

その仕事の際に大原美術館を視察で訪ねることがあり、数度、大原孫三郎さんのご親族が運営されている美術館へ赴き、お話しを伺うことが出来ました。

その時に感じた「大原孫三郎」という人物の壮大な人間力に触れ、自分も経営を志すものなら少しでも近づきたいと感じた瞬間でした。

大原美術館

大原美術館は、倉敷を基盤に幅広く活躍した事業家大原孫三郎が、画家児島虎次郎を記念して昭和5年に設立した日本最初の西洋美術中心の私立美術館。児島虎次郎はエル・グレコ、ゴーギャン、モネ、マティス等のヨーロッパ美術作品を持ち帰り、西洋の近代から現代の美術、日本の近代から現代の美術、民芸運動にかかわった作家などの作品を収蔵・展示している。

初めて私が訪れた時は本当に感動しました。

特に民芸運動で知られる河井寛次郎や棟方志功の作品を見たときは心が揺れる気持ちでした。

丁寧に説明して頂いた学芸員の方にも大変感謝しております。

曾孫にあたる大原あかねさんにとお話しをさせて頂く機会も頂戴し、大原家の血筋の方に直接偉業をお聞きできた体験はとても光栄でした。

大原孫三郎の偉業

大原孫三郎は「地方創生」のパイオニア的な思考力を持ち合わせていました。

彼はあらゆる財をなした後、公共事業に着手した人物です。

大原孫三郎の実業家としての評価について、後に法政大学総長となる経済学者・大内兵衛は「彼は、その作りえた富を散じて公共の事業をしたという点では、三井も、三菱も、その他いかなる実業家よりも、なお偉大な結果を生んだ財界人であったといっていいと思います。金を散ずることにおいて高く自己の目標をかかげてそれに成功した人物として、日本の財界人でこのくらい成功した人はなかったといっていいでしょう」と話しました。

彼は若干27歳にして倉敷紡績社長に就任し、社長業だけでなく、数々の改革を経て功績をあげました。

行った7つの偉業をみてみましょう。

 

1.「飯場制度」の解体

まず1つ目が、当時工場において常識とされた「飯場制度」というものの解体です。当時の工場勤務者は住み込みが基本でした。しかし生活に必要な一日三食の食事を「飯場」と呼ばれる業者から工場勤務者は買うしかできませんでした。専売状態であった「飯場」業者はその制度を悪用し、原価が低い劣悪な食事を提供したり、自由に買い物に行けない工場勤務者の立場を逆手に取って高値で商品を販売するなど、極めて非人道的な環境が放置されていました。これをすべて倉敷紡績が直営で食事、売店などの経営に乗り出します。労働生活環境の改善ですね。

2.社宅(寄宿舎)の改善

2つ目が寄宿舎の改善です。大部屋方式の寄宿舎はできるだけ狭い部屋に大人数を詰め込むのが一般的で、プライバシーなども確保されず、衛生面でも問題がありました。これらを改善するために、会社が寄宿舎を改装。住みやすい住環境を整えました。

3.新卒の積極的採用

3つ目は若い学卒者を積極的に採用し、幹部人事にも手を入れて、古株の役員・職員などを入れ替えを行いました。また会社の未来について毎晩と議論を行うなど従業員の経営への思考力を高め、経営のあり方を変えていきます。

4.M&Aや新規創業、多角的事業へ進出

4つ目は会社買収や、多角的事業への進出を行い、事業の拡大化を目指します。孫三郎は積極路線へと舵を取り、倉敷紡績とともに岡山県下を代表する紡績会社である「吉備紡績」を買収。倉敷紡績より新たな設備などを揃えていた吉備紡績に採用していた学卒者たちを要職につけて活躍させて、会社を急成長させます。さらに必要電力供給のための火力発電、水力発電などを行う備作電気にも投資して自らも役員に就き、成長を遂げていきます。大正15年には、国産レーヨン製造販売のための倉敷絹織株式会社(現在のクラレ)を設立するなど、事業多角化に突き進んでいきます。

5.労働者の雇用環境改善

5つ目は、独自の労働者を尊重する資本政策です。会社ででた利益を当時、一般的には役員報酬や配当を増やすところを、孫三郎は役員報酬と配当を減らし、その分、工場勤務者たちの生活環境改善のための寄宿舎改良基金を創設。会社成長に歩調を合わせるように社宅のさらなる整備、共済組合の設立など労働環境改善、さらに教育機会の提供をあわせて実施。さらに、大正9年には株主配当を減らし、労力配当を新設、その他も様々な従業員向け基金を次々に設立。その結果、他社よりも配当性向を落とした経営を行う斬新な資本政策により従業員は恵まれた環境で大いに実力を発揮し会社の成長を支えることになります。

 

6.他者から理解されない価値を作り出す経営

6つ目は、経営者としての姿勢を全くぶれさせない姿勢を貫きます。孫三郎は度々、会社の役員や株主などからその理想主義的経営が効率を阻害すると批判があっても、自らの経営方針を曲げませんでした。そして周りには常々「主張のない仕事はひとつもしない。主張のない生活は一日も送らぬ」と語っています。
信念を貫く姿勢が自分を突き動かし、人々を導くのかもしれません。

7,孫三郎の公共事業

7つ目は公共事業の着手です。孫三郎は得た財を本業のみならず、様々な研究所設立、倉敷中央病院の整備、そして今では300万人を超える観光客が訪れる倉敷市美観地区や日本初の西洋美術館・大原美術館といった本業外の設立や環境整備を行いました。
地域創生のための公共事業と市民活性事業。経済力があると言うことだけでできる偉業ではないでしょう。

 

孫三郎の決断力の強さ

孫三郎の曾孫、あかねさんとお話しをお伺いしたとき、その大原孫三郎の決断力の強さについて、お聞きさせて頂きました。

「孫三郎というと倉敷という街に新しい生命を与えた大実業家というイメージを持たれる方が多くいらっしゃいますが、その青年時代はとんでもない放蕩息子でした。東京に遊学したまでは良かったですが、学業に専念せず、悪友と遊びほうけしまい、実家からの仕送りでは事足らず、現在で換算すると1億5千万円のお金を借金してまでしていました。その時その借金返済で走り回った義兄がその心労のあまり急逝。そのショックから一念発起し、地元倉敷での事業で大成すると誓います。ここからが実業家・孫三郎の顔です。」

孫三郎のすごみというのはその決断力では無いでしょうか。なによりも自分の信念に従って決心する。この決断力が備わっていた、あらゆる経験で培ったからこそ、ぶれない思考力というものを生み出せたのでは無いでしょうか。経営者とは決断の連続です。最良の決断は最終的に責任者である経営者の肩に掛かっています。」

私も若輩の経営者として事務所運営を行っていたとき、「経営者とはこんなにも決断することが多いのか」とよく思ったことです。

何一つとっても一事が万事になるのではないかと、不安に陥ったこともありました。その判断が良かったのかどうかと考えるあまり、眠れない日もありました。

この話を聞いたとき、「自分も会社のために尽くした結果が世の中の人に笑顔と感動をもって喜ばれることにつながる」と知ったとき、その志はぶれないものになりました。

そのきっかけも奇しくも倉敷のお客様とのエピソードなのですが、この話はまたの機会でお話しします。

ともあれ、私もここに至るまで長い時間がかかりましたが、「経営者としての自分」を覚醒させられたのも、孫三郎さんのように「企業の儲けは社会に還元しなければならない」という志に触れることができたからかもしれません。

「人格主義」を掲げた経営理念と積極的な拡大路線という相反するようで、実は極めて整合性のとれた独自の経営によって、会社を急成長させた大原孫三郎さん。

まさに日本が誇る偉大な実業家といえると思います。

 

いかがでしたでしょうか。

大原孫三郎さんの経営術についてお伝えしました。

 

「黄金の智恵袋」

本日もご覧いただき、誠にありがとうございました。

 

ABOUTこの記事をかいた人

影谷(かげたに)

執筆者【経歴】関西出身 ▶︎年商2億円の事務所経営経験(芸能関係/10年) ▶︎国内ポピュラーコンサート・イベント運営企画 業務に携わっています▶︎ Blog「黄金の知恵袋」 (最高月3万PV )運営 ▶︎ 元・超あがり症 ▶︎ ビジネスに関する税対策や経営実務が得意です ▶︎伝えたいこと:自分がビジネスマンとしてレベルアップしたときに経験した知恵と面倒な経営実務や財務処理、税の対策を中心に「経営で頑張る人」に悩みとその解決策をお伝えしています。▶︎メッセージ:このブログのビジネステクニックや思考力を実践して一流のビジネスパーソンを目指してください!