■目次
ブランドの作り方
/中貝宗治(豊岡市長)
はじめに
こんにちは。影谷です。
今回はブランドの作り方、ブランド戦略についてのお伝えしたいと思います。
あなたは会社や商品、サービスへのブランド力をどのように伝えていくのか、商売をする以上は必ず考えているはずと思います。
また商売だけでなく、人は生きているだけでも、この「ブランド力」というものは必要としているでしょう。
人から好かれたい、ビジネスパーソンとして活躍を披露したい、異性に愛されたい、こう思うことは人の性。
自分という存在をアピールする。これはブランド戦略ですね。
商品や会社だって同じ。ブランド戦略がなければ人にその良さを知ってもらうことすら出来ない。それは選択すらしてもらえないということです。
私が経営していた古典芸能会社は、グループ本部の創設は70年を超える老舗でした。しかし、日本人の99.9%はその存在すら知りません。70年も何やってたんだと言いたくなるところですが、本当に我が社はこのブランド戦略が下手でした。
とっても良い舞台を制作しているのに、その宣伝方法やブランド化が稚拙なのです。
ご覧になったお客さんから「こんなに良い舞台なのに、客席がガラガラじゃないか!もったいない!こんなに感動した舞台が話題にならないのは宣伝が下手なんだろ!」と褒めていただいているにもかかわらず、逆に叱責されるというよくわからない状況になることがしばしばありました。※これは我が社あるあるの一つです。
こんな苦労を抱えていた私でしたが、本日は「ブランド戦略」が大成功している豊岡市の市長・中貝宗治氏からのビジネス思考力をお伝えします。
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この記事を書いている私は、過去に赤字経営だった事務所経営を黒字化し、年商2億円を売り上げていました。
現在も事業イベントプロデュースのビジネスに携わる傍ら、日本中の知識人から学んだ経営術を伝える当ブログを運営しています。
特に対面営業と経営実務に関することを追求することが好きです。
中貝宗治
兵庫県豊岡市長。兵庫県豊岡市出身。京都大学法学部を卒業後、1978年に兵庫県庁に入庁。県職員時代の1987年に大阪大学大学院経済学研究科経営学専攻前期課程を修了。1990年兵庫県庁を退職し、翌1991年4月、兵庫県議会議員に当選。2001年7月、豊岡市長に就任。2005年5月に市町合併による新「豊岡市」の市長に就任。現在4期目。
中貝さんと私の出会いは古くからお付き合いをさせて頂いておりました。
私の前任の事務所経営者であった佐江場さんという方が中貝さんと懇意にしていて、そのあとを引き継ぐ形で中貝さんともお会いしていました。
私は日本全国の首長さんとお会いする機会があったのですが、日本広しといえど、こんなに気さくで気軽に会える市長さんはいないでしょう。
ふらっと市役所に寄って、担当部署さんと打合せしていると、「あ、そういうことなら市長かな」といきなり連れて行かれることは多々ありました。
職員との壁の無い人間関係にとっても感動したものです。
晩に中貝さんとの飲み会があって、市長室を訪ねると「ちょっと待っててね、着替えるから」とその場でタンクトップになって着替えだしたとき、同席していた奥様から「そのお腹何とかしてよ!(笑)」と仲むつまじい姿も拝見できました。
本当に良い人なんですよ、中貝さんって。こんな人が全国の市長に座れば、日本はもっと変わるのではと感じています。
兵庫県・豊岡市
知らない方へ簡単に豊岡市の概要をご説明します。
人口約8万5千人。日本海に面し、兵庫県北部に位置するのが豊岡市。天然記念物「コウノトリ」を保護するセンター、開湯1300年の歴史を誇る「城崎温泉」、但馬の小京都と称され、おそばで有名な「出石」、スキーゲレンデがある神鍋、世界ジオパークに認定された山陰海岸ジオパークエリアにある「玄武洞」などの豊富な観光資源があります。広大な円山川が流れ、冬には一面雪化粧の豪雪エリアです。
全くの余談ですが、私は月に一度は必ずと言って良いほど豊岡市へ出向いていおりました。
仕事でもたくさん訪れるエリアなのですが、街や住んでいる方の人柄が好きで、プライベートでも良く行きました。
冬になると必ず訪れるパターンというものをつくっていまして、
1.出石町で出石そばを食べる→2.玄武洞で散策→3.城崎温泉で外湯に入る(通行手形購入)→4.民宿に泊まって蟹料理を食べる→5.城崎マリンワールドで1日遊ぶ
ここに時には「コウノトリ」さんのご機嫌をお伺いしに行ったりもいたします。
正直言って「豊岡LOVE」です。
友人にも「豊岡の人を紹介するから豊岡へ嫁げ」と言ったこともありました(笑)。

小さな世界都市 「豊岡」
このブランディング、すごいでしょ。
日本のとある一地方自治体が「世界都市」ってうたっている。
実際、豊岡は今世界各国から観光で訪れるお客さんで溢れ、インバウンド需要が好調です。
城崎の温泉街を中心とした観光で昨年は4万4千人の外国観光客が訪れたそうです。
一番多いのが東アジアでの70%で台湾、中国、香港、それからタイ。そして残り30%がアメリカ、フランス、オーストラリアという順で続きます。
これは日本のインバウンドで考えると80%以上が中国などのアジア勢が占めるのに対して、約3割がアメリカを中心とし外国勢になるのは、その魅力が全世界で認められてきている証拠。
それはなぜかというと、外国、特に欧米、欧州の方達は日本文化に憧れ、その文化に触れたくて、旅行しているという点でしょう。
城崎という街はその意識にぴったり。
城崎の温泉街は小さい街ですが、その佇まいや町並みの作り方、雰囲気は、こぢんまりとしていながらも、日本文化を集約した箱庭のような感覚の街です。
古い町並みを浴衣を着て、下駄をカランコロンと鳴らして歩くという風情が大当たりしているのですね。
そしてこの体験がSNSを通じて拡散され、家族・友達へと伝わり新たな顧客を生み出している。
この顧客を逃さないために、豊岡市の外国語版WEBサイト「Visit Kinosaki」には旅館情報や浴衣の着方、外湯の利用方法や温泉でのマナーなども掲載され、11言語に対応した解説を行っています。
これも「小さな世界都市・豊岡ブランド」の戦略ですね。


ブランドの“顔”となるトップは「役者」にならなければならない。
このお話を聞いたときは「すごく粋なことを言う方だなぁ」と感じました。
私は日本伝統芸能の会社でしたが、「役者という視点でトップの仕事をする」が他でも聞いたことが無かったからです。
中貝さんがおっしゃるには、「ブランドというと広告を打ち出すっていう事しか無いと思われがちだけど、結局は経営者のカラーなんだと思いますよ。市長ってブランドじゃないですか。その歩くブランドの一言一句が全く別のものに生まれ変わる。プラスになってダイヤモンドになるものもあれば、逆にマイナスになって負債になることだってある。広告塔のトップはその言動ひとつひとつに最新の注意が必要です。」と話されていました。
また、「僕はトップというものは舞台役者って思っています。別にお面を付けて演じると言うことで無いですよ。舞台役者のように常に観客へ発信し続けている存在になるということ。トップというのは360度見られているということを意識しておかなければならない。ブランドを発信するということはそれぐらいの覚悟がいるという事だと思います。」ともおっしゃられています。
それはある出来事がきっかけでした。
2004年、豊岡市は台風23号の影響で死者7名5,000世帯が床上浸水になり、円山川が氾濫した大きな災害に見舞われました。
その時、中貝市長はそのブランド力を使って市民を鼓舞し、市長としての復興へ乗り出したのです。
メディアが押し寄せるなか市長の発言はすぐに新聞となって活字化され、メディアに乗って全国へ流れました。
中貝市長は「全国よりも今いる豊岡市民のために」という気持ちを忘れず、全国メディア対応を行われたそうです。
そんなとき、あるメディアから「街の大量のゴミはどうするのですか?」という質問に「ゴミではなく、市民が前日まで大切にしていた家財道具や思い出の品です」と訂正したそうです。
その言葉は豊岡市民の心に触れ、「市長と共に」を言葉に復興へ突き進んだのだそうです。
市長という看板役者が放つセリフに「復興」という結果をもたらしたブランド戦略といえるのではないでしょうか。

ブランドとは「人」が創り上げるもの ― そのブランドを輝かせるのはトップの仕事
中貝市長が城崎温泉をインバウンドで盛り上げようと考え、その戦略組織を立ち上げようとしたときの話。
インバウンドは圧倒的に城崎が多いので、できる限り豊岡市内に長く滞在していただくには広域連携が必要と感じ、例えば、城崎温泉と城下町の出石との連携を図るなどの方法を考えたかったが、豊岡全体を俯瞰して戦略をたてる組織がなかった。いま自分たちのまちの観光がどのような状況にあるかをデータに基づいて分析し、戦略を立てることが基本的にできていないし、市役所もそういったマーケティングは得意ではない。
そこで、我々の公的組織と民間企業が連携することで地域の稼ぐ力を引き出し、観光地経営の視点に立った観光地域づくりを行っていこうと、マーケティング戦略に基づき、地域全体をマネジメントできるDMO法人として「豊岡観光イノベーション」(TOYOOKA TOURISM INNOVATION)という組織をつくったんです。
自分たちで出来ないなら、プロと協同でやる。仕事づくりとパートナーづくりはWIN−WINでやりましょうと。
この判断をするのはトップです。トップが舵を切らないと何も始まらない。
ブランド戦略のまずはじめは「だれかに知ってもらうこと」からです。
幸いにも豊岡には素晴らしいコンテンツが溢れています。そのコンテンツを生かすか殺すかはトップ次第でしょう。
また豊岡には天然記念物「コウノトリ」がいます。
コウノトリの復活はまち全体のブランド力です。
しかしコウノトリを復活は動物愛護という観点だけではありません。コウノトリを守るだけでなく、コウノトリを守り育てながらお金儲けもしましょうよ。とささやくんです。
そうすればコウノトリを中心としたマーケットが出来ます。
街整備、コウノトリ関連商品、観光産業・・・。まちの人達が喜ぶWin-Winの関係です。
日本のコウノトリは人のエゴで一度絶滅しました。そしてまた動物愛護の観点でコウノトリだけ復活させてもそれも人間のエゴでしょう。
昔のコウノトリは里山で暮らす住人と共存していました。今となればこの鳥は近くに人がいない環境では生きていけません。それぐらい里山に適応したのです。
人とコウノトリもWin-Winだったのですよ。
経済に結びつけた飼育・繁殖は豊岡市のシンボルマークでもあります。
これも大切なブランド戦略ですね。

ブランド戦略は外に向けてではなく、中(社員)のためにやる
そしてブランド戦略で面白い思考力がもう一つ。
それはブランド戦略は対外交目的のために行うのではなく、一緒に働く仲間のために行うのですと教えてくれたことがありました。
目的地、スローガンを明確に打ち出すのはトップの仕事。そのビジョンを生み出すことによって、社員たちもその夢を一緒に追ってくれる存在になる。
ブランド戦略の第一発信先は身内である仲間たちにどう伝えられるかなのです。
そのために豊岡は「小さな世界都市を目指す」という旗印を掲げています。人口規模は小さくても、世界の人々から尊敬され尊重されるまちを目指すというものです。
一地方都市でも世界に誇れるまちづくりを行う。これを私は豊岡市職員たちへメッセージとして届けました。
「小さな世界都市」を掲げ、世界に通用するものができれば小さくても堂々とした態度でこのまちを誇りに思え、ここの暮らしを幸せに感じることができる。
豊岡ブランドを職員にきっちり伝えることができれば、みんな自ずとそのために行動するでしょう。そしてより魅力的な豊岡のまちが完成する。
決して急激な人口増加を競うのではなく、そのコンセプトで少しづつ人が定着してくれるビジョンが「小さな世界都市」の本質です。
そして職員が誇りを持って『このまちは俺たち私たちが創っているんだ!』と胸を張って言えるような働き方ができるようになれば、全てがWin-Winでしょ。
ブランド戦略で重要なのは良いパートナーをみつけること
そしてブランド戦略を打ち出す時に大切なのは「良いパートナーを見極めること」が必要です。
戦略を実行するのは『人』。
トップも 『人』。
結局は『人』。
トップが共に歩むパートナーは一緒に働く仲間でもあるし、戦略を練る外部協力者でもあります。
パートナーに恵まれれば、改革はより早く進められますものね。
ビジネス戦略のまずはじめはパートーナーである仲間や社員に向けてビジョンとトップとして明確に打ち出す。
その重要性を教えてもらった時、私も自分の経営者としての仕事に必ず「未来への展望」というコンセプトを盛り込むことにしました。
この仕事がなぜ必要なのか、これをすることによってこの先どのような結果をもたらすのか、というビジョンは一緒に働く仲間への「仕事への動機付け」になるからです。
また自分もそのビジョンを打ち出した以上はブレない経営方針を戒めにもなりました。
豊岡ビジョンは私の信念の基礎をつくってくれたのです。
このお話をきっかけとしてあなたもブランド戦略について、未来ビジョンを考えていただけると嬉しいです。
本日は豊岡市長・中貝宗治さんのビジネス思考力をお伝えしました。
「黄金の知恵袋」
本日もご覧いただき、誠にありがとうございました。
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