■目次
手段と目的を見誤ってはならない
/ジェームス三木(脚本家)

はじめに
こんにちは。影谷(かげたに)です。
本日は日本の演劇界の巨匠「ジェームス三木」さんからのビジネス思考力をお伝えしたいと思います。
私も一応、芸能業界の末端に属していた人間のため、作家、演出家、役者さんとお会いすることが多くお会いしていました。
舞台人からの面白い話はあれど「成功するためのビジネス思考力」かと言われると、脱線しそうなネタばかりなのであまりご紹介するタイミングがございませんでしたが(笑)。
ご存じで無い方は劇団舞台関係者というと、文学部あがりのマニアックな大人しい人間が多いと思われるかもしれません。
しかし、かの有名な「蜷川幸雄」さんを思い起こしていいただけましたらお分かりかと思いますが、舞台人にはねじが3本ぐらいぶっ飛んだ方々ばかりなので、愉快な人間ばかりと交流していた様に思います。
個人的にはどんな荒くれ者のパンクロッカーが騒いでも、劇団の打ち上げのヤバさには敵わないと勝手に思っています(笑)。
筆舌に尽くしがたいネタは封印しておりますが、彼らが思う『演劇論』はビジネスを行う上でもとても参考になるので、また機会がございましたらお伝えしたいと思います。
そんな中、今回は舞台脚本家・巨匠「ジェームス三木」さんからの思考力を厳選してお届けさせていただきます。
こんなお悩みを解決します。
✔本記事の内容
✔ ジェームス三木さんとは。
✔ 手段と目的
✔記事の信頼性

この記事を書いている私は、過去に赤字経営だった事務所経営を黒字化し、年商2億円を売り上げていました。
現在も事業イベントプロデュースのビジネスに携わる傍ら、日本中の知識人から学んだ経営術を伝える当ブログを運営しています。
特に対面営業と経営実務に関することを追求することが好きです。
ジェームス三木
1935年、旧満州奉天(瀋陽)生まれ。小学生の時に大阪府に引き揚げる。高校を経て、劇団俳優座養成所に入る。55年、テイチク新人コンクールに合格。13年間歌手生活を送る。67年に「月刊シナリオ」コンクールに入選。野村芳太郎監督に師事し、脚本家の道に進む。NHKでは連続テレビ小説『澪つくし』、大河ドラマ『独眼竜政宗』『八代将軍 吉宗』をはじめとするヒット作を数多く手がけている。
昔、テレビで「トリビアの泉」でもやっていましたが、ジェームス三木さんの名前の由来はご存じでしょうか(笑)
歌手時代、ディック・ミネに芸名を付けて貰おうとしたら「それどころじゃない、これから税務署に行かなきゃいけないんだ」と言われたことからくる「税務署行き」が由来。
「税務署行き」→「ぜいむしょいきー」→「じぇーむしょいきー」→「じぇーむすみきー」→「ジェームス三木」・・・・ばんばーい。
おもしろいトリビアですよね。

私がジェームス三木さんに初めてお会いしたのは22歳大学4年生の在学中、会社が行った内定者研修中でした。
お会いした時に・・・
「ぼくはね〜、若い人に会うと必ず話すことがあるんだよ。それはナポレオンとモーツアルトはどちらが偉いかといこと。ナポレオンは確かにフランスを一時ヨーロッパの覇者にした功績があるかもしれないが、現代の我々の日々に殆ど影響がないよね。それに比べてモーツアルトには、生誕250年ということをおいても日々その曲を聞いて楽しみ癒されている。そういう意味でナポレオンよりずっと「偉い」と思う。、それが文化というものだ」
そんな講釈を、「へー」と聞いたおりました。
ジェームス三木さんと言えば、若い方はあまり馴染みが無いでしょうがあの名作、1987年NHK大河ドラマ「独眼竜政宗」の脚本を手がけられた方です。
このドラマには若かりし頃の渡辺謙さんがご出演されていました。
今話題の杏さんのお父さんですね。
私は小学生でしたが、鬼気迫る渡辺謙さんの名演技が『ホントすげぇ』と子どもながらに感じておりました。今でも大変印象に残っております。

舞台の世界も会社も同じ
そんな、ジェームス三木さんとは何度となくお仕事をご一緒させて頂くことになりました。
数多くの脚本を手がけるジェームス三木さんですが、その舞台制作においてもご自身の世界観や思想を色濃く反映されていたようです。
ジェームスさんとお話ししていると良くこのようなことをおっしゃっていたように思います。
「舞台の世界でも会社で勤めていても、必ずピンチという偶発的試練は必ず訪れる。そんな時に君はどんな行動を取るか。」
「舞台では台本があってその進行通りに事が運ぶと思われがちだけど違う。人が人を演じるその空間にセオリーなんてものは1つも存在しない。セオリー外が起こった時に君はどう対処するか。」
「働くということは君自身の人生を築き上げるということ。そしてそれは選択の連続だ。君にとっての最善の選択を選ぶ方法とは」
その答えを問うと、ジェームス三木さんは必ずこのように言われていたように思います。
「試練やピンチという逆境に立ったとき、決して楽で簡単な道の方を選んではいけない。決してその道に正解など無いから。」
というものでした。
「逆境や苦難を乗り越えられる道を選んだ者がその先の成功を勝ち取れる。試練の道から逃れても何の意味も無い。君が将来必ず『あの時の選択が今に生きている』と思うのは楽では無い逆の道である」
私はこの言葉を今、身にしみて感じています。
私たちの仕事は端から見れば「ブラック企業」。
どんなに働いても、どんなに駆け回っても、「本当の幸いとは」と、いつも自問するような修行僧のような仕事をしていたと思います。
そして今思えば、私自身、自ら忙しくなるように仕向けていたようにも思います。
それはジェームス三木さんが仰るように「楽な道に何の報いも無い」ということを身をもって実践していたからかもしれません。
いつも忙しくしているということは「常に苦難に立ち向かっている」ということでしょう。
私は常に繁忙に身をさらすことで、自分を磨いていたように思います。
そしてその時の体験が本当に自分だけの財産になっていると感じざるを得ません。

手段と目的を見誤ってはならない
ジェームスさんとお話ししていると、このようなことお話しされていました。
20代だった当時の私がとても印象に残った言葉です。
(以下、ジェームス三木さんからの言葉)
「今、世間をみていると目的と手段を、間違えていることが多いように思う。例えば健康食品が今はブームだけど、みんなこぞってこれが良いってテレビで言うと飛びつくよね。バナナ、ところてん、納豆、青魚・・・。これはここに効く。この成分は体のここに効能がある・・・なんてもの。
しかし、僕はあなたは何のために健康になることが必要なのかと問いたい。おそらくその質問をすると皆『長生きしたいから』と言うと思う。でも僕は更に聞きたい。なんのための『長生き』かと。
僕は健康食品がブームになるといつも思う。長生きといってもなぜ生きたいのかという目的を忘れていないかと。
こぞってその時だけ健康食品を買いあさる。そしてその健康食品を食べることが目的になってしまっていないかと。
そもそも長生きしたいという目的で、健康になるという手段のために「健康食品」を摂取するはずが、健康食品を買うことが目的になっているように思う。
手段を目的にしてしまうと、毎日そのことに追われて、どんどん、心が疲れていくように感じる。
すなわち本質を見誤っているということ。
そしてこれは、会社でも言えることで無いのかな。
社会のために自分が働こう決めたとき、高い意識や目的があって仕事を始めたのに、それが自我の欲求のためだけになり、お金を稼ぐことが目的になってしまうこと。
売上や利益を挙げるためだけに仕事をすると、その目的のためであれば、手段を選ばなくなって当然。
そもそもお金を稼ぐという目的が『生きがい』になんてならないんだよ。そこに意味は無いからね。
多くの人に喜んでもらい、世のために働く。これが本当の『生きがい』。
本来仕事とは誰かの役に立つから嬉しい。そして後からお金がついてくる。
会社に入るだけ、お金を貯めるだけでは、本当の喜びを感じることはないよ。

この信念を伝える使命
(以下、ジェームス三木さんの言葉)
そして僕はいつもこう思う。
この目的と手段の関係を洗いなおすことが、今重要だと思う。
しかし、なかなか「夢=お金」という縮図を打ち砕くことは難しい。
お金があれば何でも出来る、何でも叶う、という表面だけのイメージをメディアやテレビで拡散する時代の潮流はあらがうことがとても困難に思う。
しかし、これは私たち大人への試練だ。
私たち大人は若い人達へ手段ばかり教えて、目的を教えていない。
この手段と目的の意味を伝えることが私たちの「逆境」という選択への道であると思っている。
「試練やピンチという逆境に立ったとき、決して楽で簡単な道の方を選んではいけない。決してその道に正解など無いから。」
このことに尽きます。
私(影谷)もジェームス三木さんと初めてお会いした大学生の時から20年近く経ち、立派に?大人になりました。
このビジネス思考力は私を大きく成長させてくれたと思います。
今度は私がこの意思を伝える番です。
若くして経営を志す人達、これから経営を目指す中堅ビジネスパーソン、全てにこの「手段と目的」の想いを伝えて参りたいと思います。
「黄金の智恵袋」
本日もご覧いただき、誠にありがとうございました。