■目次
決断力とは熱と涙やで
野口克海(元・堺市教育委員会教育長)

はじめに
こんにちは。影谷(かげたに)です。
現在、猛威を振るう「新型コロナウィルス」が世界中の人々を恐怖に底に叩き落としています。
一向に収束することのない緊急事態に、ようやく日本も重い腰を上げ、対策に乗り出しました。
現在感染で苦しまれている方のことを思うと大変心が痛みます。
またウィルスへの感染者ばかりか、その対策に奔走する人、予防・自粛の運動、その取り巻く環境は経済的停滞を招く恐れもあります。
2020年2月27日、安倍晋三内閣総理大臣は「小中高校の休校を要請する」と表明しましたが、それをいち早く受け、北海道の鈴木直道知事が「道への緊急事態宣言」を発表しました。
鈴木北海道知事はその迅速な決断力だけでなく、「すべての責任は私が取る」というその責任力にも称賛を浴びました。
代わりに中国からの「春節」観光旅行シーズンをウヤムヤのまま見逃し、それの結果国内での感染拡大につながってしまった安倍首相の評価はガタ落ちです。
このままでは東京オリンピックの開催すら危うい状況の中、『誰がこの責任を取るのか』という問題にすら、触れられてもいません。
私はこの一連の状況を見ていると、約23年前に遡る「O-157」問題で奔走した野口克海さんのことを思い出さずにはいられません。
当時、堺市教育委員会教育長のポストだった野口さんですが、病気の子どもや、あらゆる風評被害と立ち向かい、現場を駆け回っていた叩き上げの先生です。
野口先生にはとても懇意にしていただき、教育現場から見る芸術文化的思考などをご意見いただきました。
そのときにの中でお聞きしたお話をご紹介します。
コロナ問題で各方面で経営者・責任者の方はその都度『決断』を求められていることでしょう。
そんなあなたへ本日のビジネス思考力をお伝えしたい思います。

こんなお悩みを解決します。
✔本記事の内容
✔ 決断力のこと
✔ 野口克海さんって?
✔ 決断力は情熱で作られるのだ!
✔記事の信頼性

この記事を書いている私は、過去に赤字経営だった事務所経営を黒字化し、年商2億円を売り上げていました。
現在も事業イベントプロデュースのビジネスに携わる傍ら、日本中の知識人から学んだ経営術を伝える当ブログを運営しています。
特に対面営業と経営実務に関することを追求することが好きです。
野口克海(のぐちかつみ)
昭和42年4月富田林市立公立中学校教諭。昭和57年4月大阪府教育委員会指導二課指導主事。昭和61年4月大阪府教育委員会教職員課主幹、管理主事、参事。平成4年4月大阪府教育委員会南河内教育事務所所長。平成5年4月大阪府教育委員会指導二課長。平成8年4月大阪府教育委員会副理事兼義務教育課長。平成8年10月堺市教育委員会教育長。平成10年4月大阪府教育委員会理事兼大阪府教育センター長。平成11年12月文部省教育課程審議会委員。平成13年4月園田学園女子大学教授。子ども教育広場代表
野口克海という情熱教育人
野口先生は主に大阪で活躍されている先生でしたが、教育業界では超有名人でした。
「野口克海を知らない教育者はモグリだ」と言われるぐらい、本当にそのキャラクラーもさることながら、一度お会いすると大ファンになるか、二度と会いたくないと思うぐらい強烈な方でした(笑)。
先生の印象を一言でいうと「スクルウォーズからそのまま飛び出してきた先生」というのがぴったりでしょう。
叩き上げの教育論は実が詰まった具体的なお話が多く、講演会でご一緒したときにはその講話によく涙が出るほど感動しました。
熱血先生なので学校の荒くれどもとのエピソードが耐えません。
赴任早々に職員室の机でふんぞり返っていた不良と血まみれになって取っ組み合いをした話、勉強を一切しなかった落ちこぼれが「俺やっぱり高校行きたい」という告白から毎夜泊まり込みでの特別個人指導、万引き学生と保護者との話。
一つのネタで2〜3時間の講話をされていたので、下手な落語家よりよっぽど面白い。実体験だというのだからさらにすごい。
全国各地から講演会で呼ばれていたので、本当に教育熱心な方です。
そして野口先生の実体験からの講演内容には必ずと言っていいほどの共通項があります。
それが「絶対に生徒を裏切らない。どんな状況でも子どもを信じ抜く」という姿勢でした。
先生には言葉では言えない「覚悟」の強さを感じます。
それはその信念があるからでしょう。
その信念があったからこそ、決断力もまた大きい力がありました。
O-157での決断力
あなたは覚えているでしょうか。
約23年前、大阪府堺市で発生した集団食中毒事件。腸管出血性大腸菌(O-157)による被害です。
平成8年7月、堺市の集団食中毒は、学校給食で起きました。給食を食べた市内47校の児童と教職員の7,966人が感染した上、その家族など1,557人が2次感染となりました。そして、不幸にも、当時7~12歳の小学生女児3人が死亡しています。また当時、溶血性尿毒症症候群を発症した児童が19年を経過した平成27年10月、その後遺症を原因として亡くなりました。
過去、国内で起きた集団食中毒の中でも、その被害規模などから特筆すべき事例の1つと言えます。
結局、その感染原因はいまも謎のままです。当時は約9,500人もの大量集団感染だったため、何か“犯人”を挙げなければ済まされないほど世間の関心が高まった結果、あくまでも“可能性が極めて高い”という前提で厚生省(現在の厚生労働省)がカイワレ大根の犯人濃厚説を公にしました。
そして、それがマスコミ報道で一気に広がり、日本全国のスーパーからカイワレ大根が姿を消し、カイワレ大根業者が甚大な損害を被りました。この“カイワレ大根パニック”を覚えている方もいるでしょう。
なお、その後の裁判(最高裁)では、厚生省が根拠のない誤った発表をしたという業者の主張がほぼ認められ、国に損害賠償支払いが命じられました。事実上、カイワレ大根は無実でしたが、真犯人は分からずじまいで今日に至っています。もはや、今から原因を究明するのは不可能と言えましょう。

当時、堺市の教育長であった野口克海先生は教育委員会の組織のトップであるにも関わらず、現場を駆けずり回り、その事態を統制していきます。
現場は言葉では言い表せない悲しみで包まれていたそうです。そして「もう学校に行きたくない」「給食をもう食べたくない」という声が児童が続出します。
野口先生はその児童たち、1軒、1軒訪ねて歩き、保護者と児童に説明して回ったそうです。
「おっちゃんに任せとき!おっちゃんが必ずまた大好きな学校に戻すから!給食もまた美味しく食べれるようになるようにするから!」
先生は簡単に話しておられましたが、おそらくその数は1000軒を超える数だったはず。
その時の苦労は微塵も語られませんでした。
そして口癖のようにこう言われています。
「この責任は必ず僕が取る。決して他でもない自分が。」
その言葉を表すように、一人ひとりと向き合って児童との対話をされたのでしょう。
先生は最後にこう言っていました。
『O157問題を解決するために日々行っていた決断はまさに「情熱」と「涙」の連続やった。でもそれが僕の仕事やった。』
先生の指導者としての熱い情熱と、責任者としての覚悟を感じ得ざるを得ません。
人生は、選択の積み重ねでできている。人生に「たら」と「れば」はない。
この言葉は、別の経営者から聞いた言葉ですが、あなたもその意味は身近に感じていることと思います。
毎日の些細なこと。例えば食事のような日々の小さな選択から、進学や結婚のような人生の岐路となる大きな選択まで、すべての選択において、人は「選択」という決断を毎日毎時毎分毎秒のように行っています。
その選択は一度決めると元には戻りません。
人生に「たら」とか「れば」はない。
「常に最善の選択をしているのだから、選択後に望まない結果になったとしても、「もし、あの時〇〇していたら」とか「もし、あの時〇〇していれば」と過去の選択に後戻りして考えることには全くの意味がないことです。
それよりも、これからどうするか、未来に向かって何ができることを考えることがとても大切。
野口先生は、自分で決める力とそのための判断軸をもつことの大切さを伝えてくれていたように思います。
「覚悟」と「信念」。
その意識が大きな決断力を生むということでしょう。

野口克海さんは2016年1月21日にご逝去されました。
生前には大変お世話になり、その情熱に触れると自分の心まで熱く燃えたぎってきたことを今でも鮮明に覚えております。
野口先生の「決断力」。
皆様の心にも届けば幸いです。
「黄金の知恵袋」
本日もご覧いただき、誠にありがとうございました。