影谷(かげたに)トモ ☆苦学生時代からの物語

影谷(かげたに)トモ ☆苦学生時代からの物語

ここではさらに詳しいプロフィールとなる私の苦学生時代からの物語をご紹介いたします。

「10分で作るビジネス成功脳」の内容とは少しずれているかもしれませんし、とっても、とっても長い内容なので、お時間のない方は飛ばしてください。

✔簡単なプロフィール

 

この記事を書いている私は、過去に赤字経営だった事務所経営を黒字化し、年商2億円を売り上げていました。

現在も事業イベントプロデュースのビジネスに携わる傍ら、日本中の知識人から学んだ経営術を伝える当ブログを運営しています。

特に対面営業と経理実務に関することを追求することが好きです。

1.はじめまして。影谷トモ(かげたにとも)です。

はじめまして。影谷トモ(かげたにとも)です。

プロフィールをご覧いただき、誠にありがとうございます。

私は、『世の中で努力する新規開業者や起業家が報われる方法を伝えたい』という志をもち、その関連業務で仕事をしている30代男性です。

私はこれまでに芸能会社で10年間勤め、、事務所運営で年商2億円のマネジメントを行っていました。

「芸能関係の会社だなんて業界人か〜!」とか、「華やかな世界でガッツリ儲けているんだろうな〜!」とか、思われるかもしれませんが、全くの真逆です。

業種の性質上、固定経費や制作費、人件費というものがバカ高く、特に労働集約型産業である芸能関係は、実のところ苦労ばかり多くてあまりオイシイというような業界ではありません。

テレビなんかで俳優さんや芸人さんが派手な生活をしていて夢があるという印象を持つかもしれませんが、それは本当にごく一部の限られた人間でしょう。

ちなみに私の会社は日本の伝統芸能を紹介する会社でした。

しかし、日本の芸能といってもほとんどの日本人がその芸能のことを知りません。そう、私の会社は日本を代表する「歌舞伎」や「狂言」、「落語」といったようなメジャーなものではなかったのです。

芸能といっても様々なジャンルがあり、認知度はメディアのさじ加減によって人気が変動します。私の会社もまたマイナーな芸能のお仕事を扱っていました。

つまり、芸能業界と言っても、その道を志す人間たちすべてが潤っているとは限らないのです。

夢では食えないといいますが、まさに私の会社もそうだったんだと思います。

はたから見ればいわゆるブラック企業というものに属され、年休50日程度、年200日は日本全国出張三昧。朝8時ころから夜中12時ごろまで毎日働いていました。

しかし私はこの会社が好きで毎日が楽しく、終わることのない大学文化祭を企画・運営していた気持ちでした。

大変な激務でしたが後悔の気持ちは微塵もありません。むしろやって良かった。当時の自分に感謝しています。

それは自分が新しいステップを踏める刺激的な環境に居続けることができたからです。

2.なぜマイナーな芸能を選んだのか。

正直と言ってこれといった理由はありません。大学生時代に芸能や舞台など、見たこともありません。興味もなかったです。

私が事務所の経営を任されるようになったのは28歳の時でした。

ほぼ独立採算型であった事務所経営権を引き継ぐ形で「経営」というものを行き当りばったりで学んでいくことになるのですが、その先任者である当時の上司であり、「恩師」と呼べる男性との出会いがあったから、私はこのマイナーな芸能を売って食べていくという道を選んだのです。

 

恩師の出会いをお話する前に、私の簡単な学生生活をお話します。

私は学生時代、裕福ではありませんでしたが、ごく平凡な生活を送っていました。

まわりの同級生に流されるように受験し、就職に有利とされた「大卒」というバッジが欲しいために入った大学。一流ではないものの就職するには大学を出ていないとという定説を信じて平凡な4年を過ごす予定でした。

ところが状況は一変します。

父が大事故を起こし、働けなくなったのです。

大学1年のときでした。大学生活にも慣れだし友人も増えだした頃、父が夜中に酔っ払って単独事故を起こしたのです ※飲酒運転ではありません。

夜中、警察と病院から呼び出しがあり、母が着の身着のまま飛び出していったことを今でも覚えています。

お医者さんからの診断結果は「重度障害者になります。」でした。

当然、父の会社からは「解雇」という処分を受けました。

こうして我が家は貧乏の谷底へ落ちました。

もともと裕福ではなかった我が家ですが、なんとか私も大学までいくことができました。

しかし、この先どうなるのかと思ってた矢先、母からの一言

「大学辞めて、働いてくれ」

衝撃でした。

のほほんと暮らしていた学生に衝撃の告白。そして突然訪れた厳しい社会からの招待状。

目の前が真っ暗になりました。

母には今思い出しても申し訳ない暴言を吐きました。

「大学やめるなんて絶対無理!大学卒業まで面倒見るのが親の責任だろう!」

・・・今考えれば、こんなことを言ってしまって当時の自分が情けない・・・。本当に母に申し訳なく思います。

しかし当時の私は大学を辞めることが嫌なのではなく、社会人になる恐怖心からこのような言葉を吐いてしまったのです。

 

あなただったらどうしますか?

選択肢 1.親の言うように大学辞めて働く

選択肢 2.借金(奨学金含む)してでも大学に残る。

選択肢 3.その他

賢明な方でしたら1を選択したり、もしくは3.その他の「定時制に編入して夜間学び、昼間働く」という賢者のような方もいるかも知れません。

しかし私はとにかく社会への恐怖心から大学にすがりつきたい一心でした。

また貧乏性だったので選択肢2のお金を借りるということも不安で(将来的に絶対返さなくてはいけないという無知からくる恐怖)、当時で思えば無茶な選択をしたのです。

「だったら自分でバイトしたお金で大学に通う。家からの援助は一切もらわない」

 


当然、家に入れられるお金は捻出することもできませんし、実家だったので家賃もかからずに結果的には親のスネをかじっていたといえばそうなりますが、とにかくここから私は自分自身の「お金」で大学に行くことを決意したのです。

 

今思えばこれが「私のお金をマネジメントする」の第一歩だったのだと思います。

結果的にこの時の金銭感覚が後の事務所運営のマネジメントの基礎につながると思えば良い経験となりました。

大学への学費年間100万円。月にバイトと副収入で9万円ちょっと。足りない分は少ない貯金から持ち出しました。小遣い手帳で月の収支もつけていました。

家から大学までの定期代費用も考えると使えるの月5,000円くらいでした。毎日の昼食代もそこからでるので、食べられるのは学生食堂の120円の「かけうどん」だけでしたね。

友人たちとの付き合いは自然となくなりました。飲み行くことも、コンパにもいけません。

バイトに明け暮れる日々、友人と遊べる時間もないので、一人、図書館で無料で借りた本ばかり読んでいました。

 

就職活動とあがり症

そんな貧乏学生生活を過ごし、3年生終わりからいよいよ就職活動がスタートしました。

私もまずは「内定」を勝ち取るまで走り続ける!と意気込んで就職戦線に臨みましたが、時代は「超氷河期」と言われた世代。

でも自分には確固たる自信がありました。早々に内定が出ると。

なぜなら私は「学費を自分で払い続けた実績があり、そのための努力を惜しまなかった人間」という実績があったからです。

しかし・・・

しかしです・・・・

 

なぜ出ない!内定!!

 

想定外です。内定が出ません。それどころか最終面接にも残りません。

書類選考も合わせると100社はゆうに超えています。

 

問題が一つありました。

それは。。。私が超がつくほどの「あがり症」だったからです。

 

 

私は対人恐怖症まではいきませんが、とにかく初対面の人間に弱いのです。

また面接という空間や他の就活生への意識から「就職活動が大の苦手」ということに気がついたのです。

集団面接では緊張のあまり言葉が飛んでしまったり、嘘みたいな話ですが他人を意識してしまうあまり、前の就活生の自己紹介で言った出身大学名を自分の自己紹介でも言ってしまったり(全く違う大学)とハプニング続き。

面接官からは苦笑されたり、「何いってんだコイツ」と場の空気が止まってしまうこともありました。

特に言葉がしどろもどろになるばかりか、赤面してしまうという波状攻撃もあり、梅干しみたいだね(笑)と言われたこともありました。

当然ですが学生時代の苦労話や学費を自分で稼いだ方法など、誰も聞いてくれません。まず面接官に信用されないのです。言葉が怪しいのです。

 

影谷 「わ、わ、わた、わたくすは・・・がっこうの・・・おかね・・・はらいますた。。。」

 

友人である中国人留学生のチェン君でももっとまともな日本語を話します。

そんな就活生が採用されるわけもなく、不採用通知が山のように届き、私の精神状態はかなり追い込まれていきます。

とにかく採用までは受けまくらないと!という気持ちで次から次に受けました。

商社、メーカー、ホテル、家電販売、不動産、コンサル、ゲーム、アパレル、ベビー、ペット、結婚式業、葬儀屋、、、、などなど、あやしいところではブランド不明の腕時計キャッチセールス(たぶんこれは法に触れるやつ)なんてものもありました。

今考えたら受かるわけないのです。大量行動という意味では良いかもしれませんが、努力の方法を間違えています。マーケティングができていません。相手を知るということをしていなかった。

当時の私は「下手な鉄砲も数撃ちゃあたる!」精神で受けに受けまくっていましたが、受ける会社のことをほとんど調べていませんでした。

とにかく数をこなすことだけを考えていたのです。面接をこなせばあがり症も慣れると勘違いしていたのです。

当然1日に1社ということはなく、2〜3社うけていましたし、面接のハシゴなんて当たり前でした。

しかし受かりません。

それはなぜか。

あがり症の原因

これは「あがり」の原因を理解していなかったからです。あがりは自分の不安から来ています。

失敗したらどうしよう、変な発言したらどうしよう。これが大きな原因だったと思います。

不安→この意味の裏返しは「自信がない。」ということです。

面接を受けている会社のことで聞かれたらよくわからないから不安になるのです。

 

学校のテストで進級のためにどうしても高得点をとらないといけない場合で例えてみましょう。

A君:

このテストで自分の進級が判断される。良い点数を出さなけれなならない

→具体的数字がない。

 

B君:

このテストで自分の進級が判断される。進級には70点が必要。70点分の勉強は確実にした。70点とれる自信はある。

→あとの30点は捨てる。目的は進級である。

 

どちらの考えが合理的でしょうか。

とにかく良い点を!というA君は高得点を目指すために進級に必要な70点だけでなく、それ以上の勉強をします。結果、試験前日になって「あれも、これもやり残したかもしれない」という不安で徹夜して寝不足になり、本来のパフォーマンスが発揮できない。

またもしかしたら不安から体調不良で下痢になるかもしれない。

B君は目的が進級だから70点以上のことはしない。前日は軽く復習して万全の体制で試験に臨む。

当然B君のほうが良い結果を生むと思いますよね。

当時の私にはこの考えが無かった。だから失敗したんですね。

面接・選考に勝ち上がるには及第点をとる戦略を立てていけばよかったのです。その会社の社会的位置とミッション、時代の流れにどう立ち向かっているのか、その中で自分はどんなパフォーマンスができるのか(ポジショニング)、その根拠と裏付け。

1社、1社、きちんと意識していればあんなことにはならなかったでしょう。

→合わせて読みたい。関連ページ「あがり症を解決した方法」

しかし、当時の私はそんなことにも気づかずに間違った努力をしていました。そして体力、精神ともに疲れ切って限界でした。

周りはとっくに内定を勝ち取り、遊んでいます。

私は4年生の秋が超えても内定がでず、得体のしれない会社ばかり受けていました。就活サイトが次々と次期4年生対応に変わったとき、本当に「終わった」という恐怖に襲われたことを今でも覚えています。

 

「恩師との出会い」

 

その日も2社掛け持ちで選考でした。1社目は当然のことながら大失敗。2社目に受けたのが将来の上司となる恩師が勤める会社の面接でした。

下手な鉄砲どころか、ガトリング砲で撃ちまくっていた当時の私は興味のない会社にまで手を伸ばし、芸能団体の会社を受けることにしたのです。

この会社のこともろくに調べず、まっさらな絹ごし豆腐状態で面接に行きました(すぐに崩れ散る状態)。

その時の私はまた自分の話なんてろくに聞いてももらえないだろう、自分の経験談なんて信用してもらえないだろうという半分、自暴自棄的な気持ちでした。

恩師は違った

面接を受けると恩師である上司は私の話を細かく聞きます。

面接官 「それで?それからどうなった?それできみはどうした?」

とても新鮮でした。

しどろもどろで答える私を気長に待ち、ゆっくりと聞き出してくれたのです。

面接官 「そんな形式張った話なんてどうでもいいんだよ。君のことがもっと知りたいんだよ。」

就職課で教わった面接対策の問答はすべて否定されました。

あとからわかりますが、その恩師は3万人以上の成功者と面談し、日本を動かす人間たちと渡り合える豪傑だったのです。

聞き出し方がうまかった。その一言に尽きますが本当に人の話をよく聞いて信じてくれました。

大学時代の苦労話をすべて聞き出してくれました。

気がつけば2時間を超えた面接になっていました。他の就活生を待たせているのではと逆に心配になるくらい(笑)

面接官 「で、いつから働く?卒業前にアルバイトできてもいいぜ」

この言葉で面接中に内定が出たことがわかりました。

その帰り道、全て出し切った気持ちで胸が一杯になり、入社はその時に決めていました。

「自分もあんな人間が豊かな大人になりたい」

自分が社会人として「目標が出来た瞬間」でした。

3.まずはじめに学んだ仕事術

そんこんなで、面接官であった当時の上司に憧れ、会社の業務内容もよくわからないまま芸能会社へ飛び込みました。

新人時代、上司となった恩師から様々なことを学ばさせていだきました。経営論、人材マネジメント、お金のこと、人心掌握術、料理の仕方まで。

※女性の口説き方だけは教えてくれなかった(笑)。彼は愛妻家でしたので。

全国をかけまわるその上司は私にとって憧れでもありました。

しかし、上司も忙しい。私などの新人に教育を施す時間など費やせないのです。

そして入社1週間で言われた衝撃の言葉。

上司「○△□市の市長のアポが入ったんだけど、俺は先約があって行けないからお前一人で行って来い。」

私「は?」

率直に「は?」です。反抗期の女子高生ばりの「は?」でした。

上司「○△□市の市長との面談を入れたはいいが、別件の予定を失念していて行けんのだわ。○△□市ぐらいならお前一人で大丈夫だから行ってこい。」

私「え、先週入ったばかりで社会人にもなりきれてませんよ!こんなあがり症の挙動不審者が会いに行ったら会社の信用無くしますって!、それに見てください、この私のスーツ!板についていない、着せられてる感満開のダボダボスーツを!アメリカのヒップホッパーも真っ青じゃないですか!」

上司「大丈夫だいじょうぶ。面談まで2週間あるからスーツは新調できるでしょ」

もはや、聞く耳も持ちません。話がスーツの話にすり替わってしまいました。

当時、先輩もいましたが正直なところ当てにならないくらいのいい加減さで、私のことを「また上司から無茶ブリに振り回されてるわ〜」的に哀れな目でしか見ません。ヘルプの手も差し伸べてくれませんでした。

教科書を作った

とにかく面談まで2週間。誰も助けてくれないので自分が万全の体制で戦える状態にするにはどうしたらよいか。そのことだけを考えました。

市長との面談って言いかえれば「取引会社の社長へのトップセールス」。それだけは新人の私でもわかりました。

しかし不幸にも上司は超多忙。ほとんど会社にいません。引き継ぎなんてない。取引社長との関係や仕事内容など、かいつまんで話してくれる程度なのです。資料にも起こしてくれません。

また営業するにもその新人のためのマニュアルが一切無いのです。

私はそのXデーが来る日まで何をやればよいのか、真剣に考えました。かなり追い込まれた切羽詰まった状態です。

そして出た結論は・・・

「教科書(マニュアル)がないなら、自分で作ってやる!」

もうやり方が無いなら、自分で作るしか無い!そう考えた私はそのために具体的に以下のようなことをやりました。

1.上司との同行営業をできるだけ行い、上司の仕事トークをノートに書き出す。

2.相手のポジションを考える。

→○△□市の情報を調べるために、インターネット、市広報誌を熟考し、現地の市役所や情報公開施設に出向いて、調べる。

3.自社のポジショニングを知る。
→自社のことを徹底的に調べる(設立からの歴史、時代との立ち位置、これからのビジョン)

4.上記から見出すお互いの接点開発(WIN-WINの関係)を方程式にする。

以上です。

この作業は私の仕事のベースとなり、以降ずっとこの方程式を使っていました。この作業は慣れるまでにすごく時間がかかります。しかしこれを最初に行ったおかげで「勝率を上げるための思考力」が身についたのです。

特に上司との同行を積極的に行い、営業先でのトークを書き出したことは大きなプラスとなりました。成功者から直に学べる方法です。

この作業を実践中、上司と同行営業したときに商談相手から面白いことを言われました。

「影谷君はすごいね〜。ちゃんと僕が話した会話をメモしてる。ノートがびっしりじゃないか。僕の話はそんなに濃い内容かなぁ。感心感心。えへへへ」

・・・これは正確に言うと違います。

先方の会話なんてメモしてません。上司の発言をメモしているのでした。生きた仕事会話術は我社を知るための最短ルートでしたし、トークからの展開で相手が丸め込まれていく瞬間が書き出すことによって手にとるようにわかったのです。

 

仕事は正直なところ、センス。

では百戦錬磨の上司は新人時代に私と同じようにマーケティングや会話術を習ったのか。

答えは「NO」。

上司は仕事の戦略とか営業トークの展開術なんて1ミリも考えていないのです。

仕事が自然とできるのです。新人時代の初めから出来ていたのです。※別の上司から聞きました。

天性の仕事センスの塊のなのです。

私の上司は誰もが知っている日本の経済界のドンと膝を突き合わせて語り合える豪傑です。

こんな人に勝てる訳ありません。同じフィールドまで上がれることも難しい。

でもこの人達に近づける努力の方法はあるはずです。それが私が取り組んだ教科書づくりであり「仕事の標準化」です

少しでも上司に近づきたい。その一心での新人時代でした。

ちなみにその○△□市長の面談ですが、結果的には大失敗でした(笑)。

いきなり成功すればなんの苦労もしませんよね。

自分なりの成功ラインをみつけ、限られた時間で叩き込んだ戦略で臨みましたが、あえなく撃沈。圧倒的な経験不足(笑)。

市長室に入ると市長以下、とりまき6名。

それに対しスーツだぼだぼヒップホッパー1人(当時23歳の私のこと)。

日本三大名瀑のように流れる汗。

就活生時代の圧迫面接を思い出しました。

概要を説明した10分で市長からは「はい、あとは担当課と話して」と打ち切られました。

担当課からも「影谷さん、一人ではまずいですよ!虎田さん(上司のこと)はどうしたんですか!」と叱られる始末。

結果的に自分のステップにはなりましたが、会社的にはチャンスを逃した形となりました。

上司からも「まぁ、また挽回できるさ」とねぎらってもらいました。最終的には上司がまとめ上げて成果をあげることができました。

4.3000人の知識人から学んだ仕事術

私がいた会社は伝統芸能を興行する会社です。異業種といえばそうでしょう。

しかしそのマイナーでニッチな会社だったからこそ、同業種だけに限られた方だけではなく、あらゆるジャンルの方とお会いすることができた。

特に面白かったのは興行をするため各地域の有識者にお会いしてビジネスできたことです。

有識者の例としては有名な文化人、宗教家、政治家、自治体首長、教育者、大企業経営者、芸能人などで、のべ3,000名ほどになります(名刺交換をしていない方や一期一会の方を含めれば5,000人くらいになると思います)。

私はこの方々とお会いしていくうちに一人の経営者として成功するためにはどうすればよいか、ということを学ばせていただきました。

また先方も「20代の若造がのこのこ1人で会いに来るなんて見上げたものだな!」と珍しがる方もいて、親しみを持って接してくれた方々ばかりでした。

私はこういう方々と接していくうちに、ただこちらからの仕事のお願いを聞いてもらうだけではもったいない、普通ではお会いできない方に会えたこのチャンス活かし、『自分もあなたのように成功者になれるためにはどうしたらよいか』という個人的なご相談をぶつけていくことにしました。

その時に直面している境遇などが主な相談ごとです(事務所経営で悩んでいること、どのような勉強をすればよいか など)。

この時のお話は特に面白く、教育的、経済的、哲学的、経営者的、宗教的な視点で会社(ビジネス)というものを捉えたアドバイスをいただき、本当にためになったことを今でも鮮明に覚えています。

また同じ質問をしてもジャンル・業界ごとに違った回答をされて、「そんな視点もあるのか!」と驚きの発見も多くありました。

この時の経験は自分の価値観を生み出し、現在の自己形成に大きな影響を与えたことは間違いありません。

そしてそれと同時にそれぞれの成功者たちの言葉を紐解くと、ひとつの『共通の思考』も自分の中で見えてきました。

成功者たちの知恵を伝えるのは影谷のミッション。

ここでふと思ったのです。

このときの談話や私へのメッセージはこれから成功したいビジネスパーソンや悩める社会人にも響くかもしれない。成功者たちの言葉を私だけでとどめておくのはもったいない。

もう鬼籍になられた方も多くいます。その方たちをできるだけご紹介、そして悩める新規開業者・新人起業家たちにメッセージを送り、「努力する方法」伝えようと。そしても自分ももう一度この方法を胸に焼き付けようと。

このようにしてこのブログ計画は生まれました。

私は在籍中、のべ約3000人の成功者たちとお会いしました。このブログは私が直接お会いした方の直伝の思考力をお伝えしています。

結果的に言うと、私はこの思考力を活かして私は年商2億円のマネジメントを成功させることができました。赤字続きだった事務所の黒字化を常態化でき、経営者として一定の成果を出せたと自負しています。

直向きに努力する私を上司は早々に事務所経営権を私へ譲り、若いうちから多くを学ばせてくれました。

与えられた環境は新人だという言い訳を一切承知されない放置スパルタ教育でしたが、幸いにも同期入社の仲間に恵まれ、仕事への標準化という作業を協同で出来たことも幸運でした。

環境は激務でしたが今振り返っても学べることの楽しさが思い起こされます。

5.10分で事業を成功させる脳をつくる

私のブログの記事はだいたい10分くらいで読み切れます。

そしてその内容は私が実際に出会った日本の基礎を作り上げた成功者や知恵者たちからの思考力です。

たった10分で事業やビジネスを成功させるためのヒントやきっかけを得ることができればとても良いと思いませんか?

私からはビジネスで勝つための勝率を上げる「成功への努力の方法」を伝えます。それが私が呼ぶ『黄金の智恵袋』です。

これから事業家やビジネスパーソンは多くの悩みを抱えていると思います。

しかし、このブログで少しでも役立つ情報や思考をお伝えできれば本当に嬉しいと感じます。

私自身もまだまだ事業家して道半ばです。一緒に頑張りましょう。

何卒よろしくお願いいたします。

影谷トモ(かげたにとも)

【おことわり】
私は伝統芸能を普及するという異種な業界でしたので、どんな世界にも飛び込む全方位の活動を行っていました。
政界や宗教的な世界の方と接することも多く、社会情勢的には対立し合うような方々、そのどちらにもお会いしてきました。
私がお会いした方々はそんな隔たりや壁を一切取り払い、一個人としてお会いいただけました。
私に知恵を授けてくれた方々がそんな組織や看板を背負わずに一個人としてお会いできたことは、今でも本当に嬉しく思います。
私のブログでは成功者たちの言葉に社会的立場やカラーに色付けをしたくありません。
個人からの言葉としてにご紹介していきますので、何卒よろしくお願いいたします。
また私がご紹介する記事にや仕事術では社会で活躍されている著名人が多数出てきます。
公人としてご紹介できる方はお名前を表記しますが、内容によっては匿名でのご紹介となりますので、ご了承ください。

 

ABOUTこの記事をかいた人

影谷(かげたに)

執筆者【経歴】関西出身 ▶︎年商2億円の事務所経営経験(芸能関係/10年) ▶︎国内ポピュラーコンサート・イベント運営企画 業務に携わっています▶︎ Blog「黄金の知恵袋」 (最高月3万PV )運営 ▶︎ 元・超あがり症 ▶︎ ビジネスに関する税対策や経営実務が得意です ▶︎伝えたいこと:自分がビジネスマンとしてレベルアップしたときに経験した知恵と面倒な経営実務や財務処理、税の対策を中心に「経営で頑張る人」に悩みとその解決策をお伝えしています。▶︎メッセージ:このブログのビジネステクニックや思考力を実践して一流のビジネスパーソンを目指してください!