元特攻隊員・裏千家 千玄室さんのことば

元特攻隊員・裏千家 千玄室さんのことば

はじめに

こんにちは、影谷です。

今年も終戦の日が来ました。

いつもこの時期になると70数年前の多くの日本人の犠牲があったから今があるのだと、いつも思いに心が苦しくなります。

十数年前、私が思い立って国内ひとりバックパッカーをやって電車(在来線)と船で日本全国を旅しました(1か月ちょっと)。

その時のテーマが「戦争の爪痕を探る」というものでした。

沖縄、呉、山口、鹿児島、鳥取、新潟、仙台、青森など多くの戦争歴史遺産を回りました。

沖縄のガマと言われるような洞窟や壕もすごかったですが、山口で人間魚雷「回天」と、鹿児島知覧で特攻機を見たときは本当に恐ろしくなったものです。

未来ある若者たちが特攻で散った歴史を絶対忘れてはいけないと本当に思います。

今回は裏千家・千玄室さんのことばが産経新聞で掲載されていましたので、ご紹介したいと思います。

この特攻の時の話は私も直接聞いたことがあるのですが、改めて涙がでたので読んでみてください。

以前の千玄室さんの記事はこちら。

記事の信頼性

 

この記事を書いている私は、過去に赤字経営だった事務所経営を黒字化し、年商2億円を売り上げていました。

現在も事業イベントプロデュースのビジネスに携わる傍ら、日本中の知識人から学んだ経営術を伝える当ブログを運営しています。

特に対面営業と経営実務に関することを追求することが好きです。

千玄室

せん・げんしつ 1923年、京都市で、茶道裏千家第14代家元の長男として生まれる。46年、同志社大卒業後、ハワイ大学修学。49年、大徳寺で得度。64年、第15代家元となり千宗室を襲名。97年、文化勲章受章。2002年、嫡男に家元を継承し、玄室を名乗る。05年、日本・国連親善大使に。哲学博士。

「彼らの犠牲があって今がある」元特攻隊員、千玄室さん

産経新聞8月14日(土)掲載から

15日で終戦から76年。茶道裏千家前家元の千玄室さん(98)は学徒出陣し、特攻隊員だった過去を持つ。今も亡き戦友の存在を胸に刻み、「彼らの犠牲を忘れないでほしい」と願う。過去を正しく知り、未来に継承することが、今を生きる人の責務だと考えるからだ。

同志社大2年だった昭和18年、海軍に入隊。戦況が不利になった20年3月、配属されていた徳島航空隊でも特別攻撃隊が編成されることになった。

ある日、上官から1枚の紙を渡された。そこにあったのは「否・希望・熱望」の3つの選択肢。千さんはその日のうちに、「熱望」に二重丸を書いて提出した。「死にたくねえなあ」とこぼす同期もいた。

「死ぬ覚悟はできていました。でも当時は20、21歳の青二才。『死』の本質は分からなかった」。トルストイの「戦争と平和」を読んだり同期と語り合ったりしたが、死の意味について誰もが納得する答えを導き出せた仲間はいなかった。

同期約3300人のうち、400人超が特攻などで散った。出撃を前に涙ながらに「お母さん」と叫んだ声、敵艦に体当たりするときの「ツー」という最期の電信。強烈な体験は今も脳裏を離れることはない。

沖縄への出撃命令を待ちながら終戦を迎えた千さん。「生き残ったことはじくじたる思いだった」と話す。

戦後、当時の上官に会う機会があった。「私になぜ待機命令が出たのですか」。そう尋ねた千さんに上官は「天命だと思いなさい」と答えた。以来、自分に課せられた意義を問うようになったという。

平和は、願ったり叫んだりしてもやってはこない。どうすれば次の世代につなぐことができるのか。重みを痛感する毎日だ。「彼らの犠牲があって、今があることを忘れてはいけない」。涙を浮かべて訴えた。

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