イヤならやめろ!ただ本当にイヤだと思うほどやってみたか? /実業家 堀場雅夫(株式会社堀場製作所創業者)
はじめに
こんにちは、影谷です。
本日は私が20代最後の年くらいにお会いした知恵者・堀場雅夫さんとのお話をしたいと思います。
お会いしたのは確か京都商工会議所の何かの祝賀会(新年会だったか・・・、何かの定例会だったか・・・、記憶は定かではありません)。
15年くらい前なので、堀場さんもバリバリでした。
遅れて会場入りしてきたのですが、颯爽とあの白髪ちょんまげスタイルで駆け足で来たときは、私も「テレビで見たまんまやな!」と思ったものです。
サムネイルの写真は私が持っている堀場さんのイメージのままの写真を付けました。
亡くなられたことを知った時は「また時代を切り開いた人が逝ったのか」と思ったものです。
本日は私が堀場さんとお話ししたときのことをお伝えしたいと思います。
✔記事の信頼性

この記事を書いている私は、過去に赤字経営だった事務所経営を黒字化し、年商2億円を売り上げていました。
現在も事業イベントプロデュースのビジネスに携わる傍ら、日本中の知識人から学んだ経営術を伝える当ブログを運営しています。
特に対面営業と経営実務に関することを追求することが好きです。
堀場雅夫
堀場雅夫(ほりば まさお)は1924年に京都府で生まれる。旧制甲南高等学校(現甲南大学)を経て、1946年京都帝国大学理学部物理学専攻を卒業。在学中の1945年に堀場無線研究所創業。1953年に株式会社堀場製作所を設立し、代表取締役社長に就任。「おもしろおかしく」を社是とする同社は、分析・計測機器の総合メーカーとして多彩な製品を世界に送り出してきた。1961年に医学博士号取得。1978年に代表取締役会長になり、その後1995年に代表権を譲り取締役会長に。2005年からは最高顧問として、書籍執筆など様々なベンチャー企業の啓蒙活動を行っている。2015年7月14日、肝細胞がんのため逝去。90歳没。
イヤならやめちまえ
堀場さんのことを知っている人ならもうべたべたかもしれません。
起業家の本やベンチャー論を研究している人なら堀場さんの精神は一度は目に触れる機会があるでしょう。
色んな所でこの話をされているし、私も実際この話をされました。
京都商工会議所の祝賀会でお会いし、当然私ごときひよっこは一番の一番の下座、入場口のすぐ真となりのテーブルでした。
それでも会に参加のメンツは政治家や名だたる起業家、経営者、芸能人までいたりして、その席に呼ばれた(もちろん会費有の有料で)だけでも光栄ではありましたが、この機会を幸いとして名刺交換に走った次第です。
その中で私のことをよく知ってくれている経営者さんが何人かいて(※また師匠である山折先生もいた)、私のことをあちこちと連れまわして紹介してくれたことが縁で堀場さんと名刺交換ができました。
堀場さんの周りには名刺交換の大行列ができていて、その行列を無視して行列すっ飛ばして知り合いの社長さんが紹介してくれたもんだから、ものすごい痛い視線を感じつつもご挨拶できました。
「どうぞ、また寄ってください」という堀場さんからのお言葉を100%鵜呑みにして、後日アポを取った次第です。
後日、私は仕切り直しと言わんばかりに堀場製作所へアポイントを入れ、小一時間ほどの貴重な時間をゲットすることができました。
緊張していてあまり何を話したかは覚えていませんが、堀場さんが私の若さ(当時20代終わりの年)で京都を駆け回っている営業姿勢に感動し、私の仕事のベンチャー気質なところを気に入って、あれやこれやいろいろ話を聞いてくださったことは覚えています。
その時に堀場さんとの話の中で、こんな話になりました。
「今の若い世代はすぐに投げ出す。イヤならやめちまえばいい。それでいい。でも僕は言いたいね。ほんとにイヤになるまでなってみたか?と。ほんとに体も心も砕け散るまで頑張ってみたか?と。」
「自分の勝手な思い込みで他人(会社)のせいにして先入観だけ、思い込みだけで物事を決めたがる。自分が始めた仕事だろ?自分がやりたい、好きで始めた仕事でしょ?大嫌いになるまでやってみろよ。」
お話し中、いろいろメモを書き残しておりましたが、このようなことをお聞かせいただきました。
私も今の仕事が大っ嫌いになるまで燃え尽きたいと思います。
本日もご覧いただき、ありがとうございました。