成功する「でくの坊」とは /宮澤和樹(宮沢賢治・子孫)
はじめに
こんにちは。影谷です。
あなたは愛する詩人・作家はいますか?
その作家たちの精神をビジネス思考力に生かしたことは?
私が数多くの経営者さんとお会いしていつも感じることは、成功者や人の上に立つ人は、ビジネス研究者や経済学者のマルチな言葉より、意外にも文学者や詩人、作家たちから言葉をビジネスに生かしているということです。
詩人や作家たちの作品から「自分だけの精神的な支柱」を見出し、自分のビジネスイメージに思い描くことが多いのです。
本日は日本が生んだ不遇の大詩人・宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節にある、「でくの坊」(デクノボー)からみる成功術をお届けします。
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この記事を書いている私は、過去に赤字経営だった事務所経営を黒字化し、年商2億円を売り上げていました。
現在も事業イベントプロデュースのビジネスに携わる傍ら、日本中の知識人から学んだ経営術を伝える当ブログを運営しています。
特に対面営業と経営実務に関することを追求することが好きです。
宮沢賢治
岩手県花巻市出身。宮沢賢治(1896〜1933)は、日本文学に特異な世界を切り開いた詩人、童話作家。
1921年、県立花巻農学校の教諭となり、4年間教壇に立つ。その間、口語詩の制作を開始し、地元の新聞や同人誌に詩や童話を発表し始める。24年に詩集『春と修羅(しゅら)』と童話集『注文の多い料理店』を自費で刊行する。
26年、農学校を退職し、独居自炊の農耕生活に入るが、結核を発病。『銀河鉄道の夜』などの膨大な未発表原稿を残して33年に37歳で死去。
宮沢賢治の作品は現代の日本人なら学校の教科書で必ずと言って良いほど目にしたことがあると思います。
「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」・・・。
数多くの名作を世に生んだ宮沢賢治ですが、生前はほとんど無名の存在でした。後生となり、ようやくその実力が認められ、日本を代表する国民作家の一人となりました。
現在、彼の作品をもとにさまざまな絵本や映画、舞台が創作されています。
膨大な詩と童話は、彼の農業観、宗教観、芸術観・科学思想・・・豊かな思考力だったからこそ、生み出されたのでしょう。
私も数多くの作品を読んでおります。

宮澤和樹
宮沢賢治は未婚で逝去しましたので、残念ながらその直系のお子さん、お孫さんはいません。
しかし、現在宮沢賢治の軌跡を世の中へ伝えるべく宮沢賢治の弟「宮澤清六」さんのお孫さんにあたる「宮澤和樹」さんが精力的に活動をされています。
花巻市に林風舎という宮沢賢治の資料や書籍を扱ったお店があります。
宮沢賢治の世界観に触れるならここでしょう。
私は仕事で宮澤和樹さんとお会いさせていただくことがありました。
宮澤和樹さんは林風舎の社長さんでもあります。
和樹さんの経営スタイルは、宮沢賢治の世界観を生かした独自の経営思考力です。ただ単純に利益を追求するだけの企業ではなく、宮沢賢治同様に宗教観、農業観、自然観、科学観…、その宮沢賢治ワールドを引き継いだ思想観で経営を行われています。
そんな宮澤和樹さんに、私の好きな詩「雨ニモマケズ」のことについてお聞きしました。

雨ニモマケズ
雨ニモマケズ |
私はこの詩が大好きで、社会人1年目に何度も見直し、常に諳んじているぐらい自分の中で復唱していました。
私が和樹さんとお会いした時に、まず第一声として「和樹さんが考えるデクノボーとはどのような人を指すのでしょうか」とお聞きしました。
和樹さんからは以下のようにお答えしてくれました。
「木偶の坊(デクノボー)」というと、どうしても役に立たない人間、必要とされていない人間と思われがちです。仕事の面でも、もし職場内や取引先に「デクノボー」のような方がいると、ストレスが溜まってしまうことも多いでしょう。
しかし、賢治の言う「デクノボー」とはそういう人を指すだけではなく、奢ることなく、威張ることなく、人びとの声を聴き、人びとの願いに心傾け、無私の気持ちで事に当たる人のことを言います。
そして、これは仕事を行う上でとても重要です。
人の上に立つ人こそ、経営者こそ、あえて「デクノボー」(木偶の坊)になることも必要なのだと私は思います。
謙虚になる精神、慈悲の心、博愛の精神、これが経営者には必要です。
まさにデクノボー精神というのでしょうか。私もこのデクノボー精神で経営を行っていますよ。
今のような時代に必要なことは、信念を持つことです。
言い換えれば目的をしっかりと持つこと。自分が行動する全ての動きに意味をもたせ、責任をもたせる。
そして、その目的に合流していくとの意識を持てば、それがおのずと信念になります。
宮沢賢治にもおそらく信念があったと思います。
その信念に基づいてこの「雨ニモマケズ」の詩が生まれたのだと思います。
デクノボー精神は宮澤賢治の目的・信念から生まれたもの。
しかしその精神は彼の人生の中で成し遂げられたのかといえば、そうではなかったのだと私は思います。
賢治は別のメモの中で、「永久の未完成これ完成である」と書き残しました。すべての問いに答えがでてしまえば、「人が探求する=向上する心」はなくなってしまいます。
常に問いかけを繰り返し、未回答のままに続いていく。その不屈の探求の精神があるところに求道があり、その求道心こそが賢治の信念であったと思います。

私が和樹さんからの言葉が聞けた時、また一歩、宮沢賢治の世界に近づけたような気がしました。
ちなみに、宮沢賢治の親類に宮澤啓祐さんという方がいらっしゃいました。
花巻商工会議所会頭の要職に就いておられた宮澤啓祐氏は賢治の母方の子孫にあたる方。
大変立派な経営者です。
啓祐さんもまた「デクノボー精神」の信念をもって経営を行っていたいのでしょうね。

あなたも宮沢賢治から学んで、デクノボー精神で経営をしてみてはいかがでしょうか。
「黄金の知恵袋」
本日もご覧いただき、誠にありがとうございました。