方言で仕事力をアップ!
正部家ミヤ

はじめに
こんにちは。本日はビジネス会話について、お伝えします。
あなたの商談中の方言は何?と聞かれたらなんと答えますか?
ちなみに私は「えせ標準語」を駆使していました。
関西出身なのでばりばりの関西弁の影谷ですが、あまりの出張の多さにどの言語を利用して良いかわからなくなり、脳が勝手に「なんちゃって標準語」を作り出してしまったのです。
すごく変な表現をするものですから、よく先方から「君どこの出身?お国はどちら??」といぶかしげに聞かれたものです。
さて、本日ご紹介したいビジネス思考力は「岩手県・遠野」の語り部・正部家ミヤさんから教えていただいたものです。
こんなお悩みを解決します。
✔本記事の内容
✔ 正部家ミヤさんって?
✔ 方言は仕事で生きる!
✔記事の信頼性

この記事を書いている私は、過去に赤字経営だった事務所経営を黒字化し、年商2億円を売り上げていました。
現在も事業イベントプロデュースのビジネスに携わる傍ら、日本中の知識人から学んだ経営術を伝える当ブログを運営しています。
特に対面営業と経営実務に関することを追求することが好きです。
正部家ミヤ
しょうぶけ・みや 。1923(大正12)年、岩手県上閉伊郡綾織村に生まれる。御年96歳。岩手県遠野市在住の語り部。遠野の昔話の語り部として、姉の鈴木サツさん(故人)とともに全国を巡った。いまも公演を続け、その語りをまとめた『正部家ミヤ昔話集』などが出版されている。
岩手県遠野市には古くから不思議な昔話が伝わっています。
河童伝説、座敷童、おしらさま・・・。
日本昔話で登場する伝説の宝庫です。
明治の時代に柳田国男がその遠野に伝わる話をまとめた「遠野物語」が有名ですが、昔からある遠野の民話や伝承を語り継ぐ人を「語り部」といいます。
正部家ミヤさんはその語り部の生き字引。96歳にしてもなお現役で語り部資料館でそのお話を披露されています。
遠野の昔話の特徴は、「昔あったずもな(むかしむかし)」で始まり「どんどはれ(おしまい)」で終わります。
正部家さんは300くらいの話を語れるらしいのですが、その語り口の魅力的なこと。
一度聞くとす〜〜〜と吸い込まれるように物語に引き込まれます。
私がお会いした時は90歳ぐらいだったと思いますが、「若い人とお話しすると気持ちが良い」と、私の無理難題を快く引き受けてくれました。
あの時のご恩は一生忘れないでしょう。

語るということは繕わないということ
私がミヤさんとお話ししているときに、「昔話を話しているとき、なぜそんなに言葉が淡々と出てくるのでしょうか?」、とお聞きしたことがありました。
するとミヤさんは
「語りたいお話があったら、素直に伝えればいいの。うまく話そうなんて考えなくて良い。」と言います。
「話はね、そのまんま覚えなくてもいいものなのよ。意味がわかったら自分が話せる言葉で伝えれば良いの。」
つまりね、繕わず地元の言葉で語りなさいと。
「だって全国共通語だとおもしろくないじゃない。自分の生まれ育った故郷のことを故郷の言葉で語ったときに、初めて人に伝わる語りができるのよ。」
正直なお話し、正部家ミヤさんの語りで私が聞き取って理解できるのは20%くらいです。
方言がキツすぎてわからないのです。
でもですね、とっても不思議なのですが、話の内容が何となく伝わってくるのです。
遠野の自然、家、人・・・。行ったことも無い岩手県の遠野の風景が頭に浮かぶ。故郷でも無いのに「ふるさと」のように感じる。
これって語り部の見えない力でも働いているのでは??と思うくらい。
話を聞き終えた時に素直にミヤさんにこの不思議な体験をお伝えしたら「それは愛情が伝わったということですよ(笑)。」と、にっこり笑われました。

話すことに愛情を
話にも愛情を持って伝えようとすれば自然と相手には伝わる。
あなたも同じような経験はありませんか?
大事なプレゼンで緊張してしどろもどろになって散々な結果に終わったと思っていたけど、一生懸命伝えようと説明していたら、後から「君の想いはよくわかったよ」と合格点をもらったり、商談がまとまる事ってあったはず。
私はあがり症なのでこのような経験が多々あります。
結局、自分の心で情熱的に語れば、人の心は動くということなのでしょう。
その言葉を紡ぐ方法が「自分の言葉=方言を使って語る」ということですね。
方言を話すと言うことは故郷を愛しているということ。
それだけで感情が動きます。
へんてこ標準語だった私も今ではバリバリの関西弁。
そちらの方が自分の想いが伝えやすい。
あなたも恥ずかしがらずに方言を駆使してはいかがでしょうか?
「黄金の智恵袋」
本日もご覧いただき、ありがとうございました。
どんとはれ。
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